文系エンジニアの奮闘

バリバリの文系だった大学生がエンジニア目指して頑張ってます。

フォトジャーナリストの視点、から

 

あまり写真を撮ることが好きではない。というのも、小学生五年生の国語の読解問題でこんな話を覚えているからだ。ここら辺は曖昧だが、旅行先でカメラを持っているのにも関わらず写真を撮らない人がいた。「どうして撮らないの?」と聞かれるとその人は「写真を撮ると忘れてもいい気持ちになってしまうから」と言ったのだ。

 

それからなんとなく写真を撮るのをためらう自分がいる(全く撮らないわけではないが、人よりは少ない)

しかし、Instagramもあり、旅行先で「スマホあるのに写真撮らないのありえない」とは言われ明らかに時代に乗れていないため、「撮る側の気持ちを知ろう」と大学の図書館を歩き回った末見つけたのが『フォトジャーナリストの視点』という本である。

 

 

フォトジャーナリスト、ある程度推測できると思うが写真による報道活動を行う人のことである。ただフォトジャーナリストの将来は実に厳しく、例えばアフリカの山々や民族などの写真は、昔だととても貴重なものであったことに対し、今ではスマホ使ってSNSで写真をあげられるためその価値はどんどん下がっている。加えて、カメラ自体の技術が発達していることから「綺麗な写真」(いわゆるインスタ映え)を撮ることは難しくないらしい。

 

だからこそ写真一枚でこんなにも考えなくてはならないことがあるんだ、と考えさせられた。

自分の分野で言えば、一番は肖像権の話である。(法学部に所属しているため)プライバシー権の一部として位置づけらているが、InstagramなどのSNSで例え「広まらない」と思っていた写真でも「広まってしまう」可能性はあるわけであり、それが時には被写体となる人々の安全を脅かすものになってしまうこともありえる。

(最初から子供の被写体をしないと決めている海外媒体もあるのだという、子供の肖像権は非常にセンシティブなものであるから)

 

 

まとめ

他にも色々な視点があった。果たして美しい写真(インスタ映えのような)だけを撮るべきなのか、写真の演出はどこまで許されるのか(画像加工ができてしまうこと)

 

この本は今日読んで実に衝撃的であり、すぐにでも簡単なアウトプットしたかったために急いで記事を書きました。

自分も「写真の撮る」という行為について、考えてみようと思います。

 

加えて本の中で「私が日本のフォトジャーナリズムにおいてもっとも大きな問題だと思っているのは、写真の演出についてだけではなく、フォトジャーナリズムのあり方や未来などについて、議論がなされていないことだ。」とあったのでフォトジャーナリズムについても考えてみます。

 

 

参考文献『フォトジャーナリストの視点』

著者;林 典子

出版会社;雷鳥社

発行;2018年4月18日