文系エンジニアの奮闘

バリバリの文系だった大学生がエンジニア目指して頑張ってます。

人身売買・奴隷の話

イジメ、差別.....

そういったものがなくならないか、ということを考えて、まず歴史から振り返ろうとして人身売買・奴隷に繋がった。

 

日本でいうと、どうやら安帝永初元年(107年)頃から奴隷というものは存在したと考えていいらしい。中国の後漢書東夷伝(受験生の日本史専攻の者は聞いたことがあるのではないだろうか)に日本の奴隷について記述されているようだ。

 

・安帝永初元年(107年)、倭国王帥升等が百六十人の生口(せいこう)

を献上し、参内し天子(後漢・安帝)に拝謁することを願い出た。

                            (後漢書東夷伝

 

この生口というのが紛れもなく奴隷・もしくは捕虜と解されている。

 

また実に興味深いと感じたのは、それは鎌倉時代の人身売買で飢饉(なんらかの要因で人々が飢え苦しむ)時には、普段禁止されていた人身売買(御成敗式目等で)が許可されてしまったことである。寛嬉(かんぎ)の大飢饉というとても深刻な飢饉が発生してしまい、どうやら鎌倉幕府は飢えに苦しみ死んでしまうくらいなら、自身の身のために人身売買することは仕方ないということにしたらしい。

 

その他にも、奴隷としての遊女(いわゆる性奴隷というやつである)また経済的な面から今でいうと援助交際にあたるのだろうか、奴隷でなくても自分の体を売って収入を得ていた者もいたらしい。

 

豊臣秀吉が天下の統一の後、南蛮貿易によりやってきたポルトガル人が日本人の奴隷を買い、当時植民地であったアジア等に連れて行かれたりもしたらしい。また当時の日本人は非常に好戦的で戦闘に長けていると称されており、そうやって海外に連れて行かれた者は、いわゆる兵の指示を出す指揮官みたいな役に付いていたことも分かった。

 

 

自ら奴隷となる者、また奴隷となっても活躍したものがいるというのは少しだけ気持ちが救われた気がした。

 

 

参考文献

渡邊大門「人身売買・奴隷・拉致の日本史」

柏書房株式会社 2014年4月10日 発行

フォトジャーナリストの視点、から

 

あまり写真を撮ることが好きではない。というのも、小学生五年生の国語の読解問題でこんな話を覚えているからだ。ここら辺は曖昧だが、旅行先でカメラを持っているのにも関わらず写真を撮らない人がいた。「どうして撮らないの?」と聞かれるとその人は「写真を撮ると忘れてもいい気持ちになってしまうから」と言ったのだ。

 

それからなんとなく写真を撮るのをためらう自分がいる(全く撮らないわけではないが、人よりは少ない)

しかし、Instagramもあり、旅行先で「スマホあるのに写真撮らないのありえない」とは言われ明らかに時代に乗れていないため、「撮る側の気持ちを知ろう」と大学の図書館を歩き回った末見つけたのが『フォトジャーナリストの視点』という本である。

 

 

フォトジャーナリスト、ある程度推測できると思うが写真による報道活動を行う人のことである。ただフォトジャーナリストの将来は実に厳しく、例えばアフリカの山々や民族などの写真は、昔だととても貴重なものであったことに対し、今ではスマホ使ってSNSで写真をあげられるためその価値はどんどん下がっている。加えて、カメラ自体の技術が発達していることから「綺麗な写真」(いわゆるインスタ映え)を撮ることは難しくないらしい。

 

だからこそ写真一枚でこんなにも考えなくてはならないことがあるんだ、と考えさせられた。

自分の分野で言えば、一番は肖像権の話である。(法学部に所属しているため)プライバシー権の一部として位置づけらているが、InstagramなどのSNSで例え「広まらない」と思っていた写真でも「広まってしまう」可能性はあるわけであり、それが時には被写体となる人々の安全を脅かすものになってしまうこともありえる。

(最初から子供の被写体をしないと決めている海外媒体もあるのだという、子供の肖像権は非常にセンシティブなものであるから)

 

 

まとめ

他にも色々な視点があった。果たして美しい写真(インスタ映えのような)だけを撮るべきなのか、写真の演出はどこまで許されるのか(画像加工ができてしまうこと)

 

この本は今日読んで実に衝撃的であり、すぐにでも簡単なアウトプットしたかったために急いで記事を書きました。

自分も「写真の撮る」という行為について、考えてみようと思います。

 

加えて本の中で「私が日本のフォトジャーナリズムにおいてもっとも大きな問題だと思っているのは、写真の演出についてだけではなく、フォトジャーナリズムのあり方や未来などについて、議論がなされていないことだ。」とあったのでフォトジャーナリズムについても考えてみます。

 

 

参考文献『フォトジャーナリストの視点』

著者;林 典子

出版会社;雷鳥社

発行;2018年4月18日

 

 

企業、IT以外が利益の源泉となっている

 

はじめに、参考文献が発行されたのが2014年であるため

紹介する企業が今もその方針でいるか分かりません。

 

しかし、ITだけではなく(ITに手を出しながらも)他の収入源があることを紹介したく、ベンチャー企業などの企業の事業拡大の際に参考になっていただければいいなと思って書いています。

 

 

 

IT以外が利益の源泉となっている企業

 

そもそもITとはなんであろうか?

ITとはインフォメーションテクノロジー(information technology)の略称であり、日本語でいうと「情報技術」です。ITはコンピューターやデータ通信に関する技術の総称であり、その言葉の意味は広く基本技術から応用技術の範囲まで及んでいる。そこにはインターネットだけではなく、パソコンなどの情報機器や通信インフラなども含まれている。

 

つまり、プレステーションなどはITの分類に入る。企業、ソニーといえばウォークマンやカメラなど多くのものが売られている。

 

しかし、ソニーはそれだけの収入源があるわけではない。それは金融である。

テレビを見ている人はCMで見たことがあると思うが(こんな聞き方をするのは自分がテレビを見なくなったからであるが)、ソニー損保、ソニー損害保険といった金融系の会社がある。

 

2014年のソニーの事業を大まかに三つの事業に分けるとするとエレクトロニクス、エンタメ、金融の三つだ。そのうちエレクトロニクス(ここがITの分野)は営業利益は1400億円弱の赤字なのに対し、金融は1500億円弱の営業黒字。つまり、ものづくり(IT)では赤字、その赤字を補うくらいの黒字を出しているのが金融であったそうです。

 

 

考え

以上のことから、例えば事業拡大の際『うちの会社はIT企業だから金融なんてやらないよ』では勿体ないと思います。確かに今やっている事業が上手くいかない時に手の分野のものに手を出すのは利口ではないですが、選択肢を捨ててしまうのは良くない。

そして、例えば事業展開する際には、その時に幅広い知識を持ち合わせている必要があるのは言うまでもなく、そのためにも常日頃から様々なことに触れておくべきです。

 

だから僕はエンジニアなるためにコードを覚えるだけではなく、このような記事も書いています。

 

 

参考文献「IT企業が儲かるしくみ」

著者;藤原実

出版会社;株式会社技術評論社

発行;2014年4月10日

ピアノの練習曲ならチェルニー説

 

はじめに、

 

このサイトのタイトルは「文系エンジニアの奮闘」とあるが、

何もエンジニアのことばかり関して記事を書いて行くつもりはありません。

色々な知識を混ぜてこそ良いエンジニアになれると思ってます。

 

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1、カール・チェルニーとは?

 

実はこのサイトの主はピアノを小学生の頃からやっており(と言ってもさほど上手くはないのだが)、そのピアノの練習曲として大変お世話になっているのがカール・チェルニーである。

 

チェルニーオーストリアのピアニストであり、教育家、作曲家でもあった。誰もが知っているであろう、あのベートーベンから学び、将来ピアニストとして活躍することが期待されたが、二十代で演奏界から引退してから、教育者となっている(生徒の中で有名なのはフランツ・リスト)。その背景にはチェルニーの性格にあり、あまり人前で演奏するのには向いていなかったようです。

 

そして作曲家としては、実に1000曲以上の作品を生み出しおり、その中でも注目すべきなのは教育用のピアノ曲である

 

 

少し話は外すが、ピアノで「良い演奏」とはなんであろうか?

 

ピアノを触れたことがないという人は「音を間違えない」「正しいテンポで弾く」くらいは思いつくだろうか。しかし、実はそういったテクニックは19世紀に入って初めて形作られてきた規範であり、その前の18世紀は違う。18世紀の楽器教本には必ずといっていいほど「良い演奏」とは何か、と書かれた章があるらしいのだが、そのどの本でも最も重要視されていることがある。

それは、

「音楽を正しく読むこと」である

 

具体的にどういうことか、フリードリッヒ大王のお抱えフルーティストとして有名なヨハン・ヨアヒム・クヴァンツによると「音楽を聴く者に対して、演奏者は聞き取りやすく、はっきりした、よく通る声と明瞭で完全に正しい発音を持つこと……(この後何行も続くため以下割愛)

 

まとめれば、彼が考える良い演奏というのは「文法(句読点)をきっちり守り、はっきりした聞き手に伝わるように明瞭な発音で、内容にふさわしい感情を持って、そして演奏をされる場にふさわしい声音で発音する」ことである。「音の間違い」や「テンポの間違い」の前にまず大事にされたのはこのことである。

 

この力を養うのにチェルニー の教育用の曲がいいのではないだろうか、というのが意見である。

 

 

もちろん、賛否はある。例えば、チェルニーに限らずこういった練習曲というものは曲(子犬のワルツ、乙女の祈り、月光など)に比べて退屈であるのは言うまでもない。スポーツで例えるなら、サッカー選手や野球選手などのスポーツ選手が試合中などののプレイではなく、地道に筋トレや体幹レーニングを室内で黙々とこなしているのと変わらないと思う。それで練習が続かないのであれば本末転倒である。

 

 

チェルニーの練習曲は30、40、50という順に難しくなっている。しかし、難易度はどうであれ、その中のどの曲にも言えることは「各曲の課題」は明確とされている点である。音階がテーマであったり、アルペジオの練習、親指の練習などその曲その曲の取り組むべき課題があって、弾く者はその課題を意識して取り組むことが上達へと繋がるの当然である。さらに本でもはじめの方に、まるで何かの説明書のようにその一曲一曲の「弾き方」というものがしっかりと書かれている。

 

 

これは良い演奏するための「音楽を正しく読むこと」

と変わらないのではないだろうか?

 

 

最後になるが、チェルニーの練習曲の譜読みはかなり楽な方である。言い換えれば、他の練習曲と比べれば完成までに持って行く時間を短いから、上手くいけば短期間で次の曲へと進むことができる=スキルアップできる。

 

つまり、レベルが高くない貴方でも努力次第では短期間で成長できるはずである。

 

 

参考文献

「ピアニストになりたい! 19世紀 もうひとつの音楽史

 著者;岡田暁雄 日付;2008年10月25日 初版第1刷発行 出版;春秋社

 

「標準版ピアノ楽譜 チェルニー30番 New Editon 解説付き」

解説;末吉保雄 上杉春雄

 

パソコンの起動が遅いので、、、解決

普段使用しているパソコンの起動に時間がかかる、

少し時間をおいてからパソコンを見てもまだ起動していない…

 

自身のパソコンがそのような状態だったので、

解決してみました。その時の作業を紹介したいと思います。

 

 

1、タスクマネージャーを開く

 

タスクマネージャーとは、アプリやバックグラウンドで動いているプロセスなどを管理するためのものであり、どうやらここをチェックしたら「どこの奴が、パソコンの起動の足を引っ張っているか」分かります。

 

Windows10ならタスクバーのところで右クリックをすることで、開くことができます。

またショートカッキーで開く場合は、

Ctrl + Alt + Delete 

で開くことが可能です。

 

2、タスクマネージャーを開いたらスタートアップをクリックする。

 

タスクマネージャーを開くと、「プロセス」の画面を開いているので

スタートアップをクリックします。

 

3、不要なアプリは無効、ただしセキュリティ関係は必ず有効に

 

スタートアップの画面を開くとアプリなどが表示されます。これを有効にされているということはパソコン起動時と同時にアプリも起動する、開かれるようになってます。逆言えば、スタートアップにあるものを無効にすると起動してから自身の手で、つまり手動でアプリを開くことになるために起動時の負担を軽減することができます。

 

ただし、「セキュリティ関係」のものは無効にしてしまうと、それらを毎回自身の手で起動させないとパソコンが無防備になり大変危険な状態になってしまうので注意が必要です。

 

 

僕のパソコンはこれで改善されました。

もし改善されない場合は、例えばお使いのパソコンが古くパフォーマンスが欠けているといった別の原因もあるために他の原因を探ることをお勧めします。

はじめまして、文系エンジニアです

この度ブログを開設することになりました。

文系ですが、エンジニアを目指してます。

 

主にこのブログではプログラミングのこと、

またはビジネス的目線で色々なことを書いていこうと思います。

 

テストの意味も込めて書いているので、

今日はここまでにしときます。

 

 

よろしくお願いします。